現代の魔女狩り、ってか

そんな場所に公の場でオウム信者、又は関係者と疑われる人物を裏で操る黒幕と噂される人間を自由に出入りすることを放置出来ないのは当然と言えば当然です。 上司から私の潔白を私自身で、しかも公に実証する必要があると迫られたのです。

自分がオウムの信者ではない実証など、どのように示せますか?

 オウム関係者だと思われた人は不幸だ。そしてそれを逆手に取る悪辣な人物はいる。

 ただねぇ、人前で平気で泣ける人は信用できないよ。読者は友人でも家族でも恋人でもない。悔し涙ならともかく。

 事実がどうかは知らない。読者は当事者じゃない。とりわけネットで書かれてることに透明性を求めるのは不可能に近いし、コメントに名前があったってそれが本人かどうか確かめる方法もない。自分の身に起きたことは自分で解決するしかないんだよ。身の上をいくら語ったところで腹の足しにはならんだろう。

 「自分の目で見た事実」を伝えるのにお涙頂戴は必要ない。感情的・扇情的になるほど、物語は歪む。報道に私見を交えないのは何のためさ。辛いなら引きこもったっていい。日本ならそうそう死なない。それでも声を上げるのは伝えたいことがあるからじゃないか。なのになんで煽るような文章になる。

 それから、助けを求めたら見返りを要求されるのが社会。