人を選ぶということ
自分: 大学のサークルみたいにはいかないねぇ
友人: そりゃそうだ
自分: あのころのはワンマンで良かったというか
ついてこれなきゃ置いてくって姿勢が
是か非かってとこだよねぇ
友人: まぁ、仕事だからね
自分: ぶっちゃけ
要らないやつは要らないんですよ
友人: 投資している分だけ、働いてもらわにゃ困るってことよね
自分: 投資っても安いもんじゃない
月に10万か20マン程度
気にすることはないというか
のたれじのうが関係ないというか
でも金はあっても人材って無限にないなぁと
友人: 仕事に対する心構えとか、やる気の問題なのかな
君のところは、人手が欲しいわけではないものね
自分: ネコの手もほしい状況ではあるよ
友人: そなの?
自分: んデモ社員で雇ってその程度?ってんなら
本当にネコの手でいい
友人: にゃるほど
自分: 人っていないもんだねぇ
うちで働かない?
友人: そうきたかw
自分: 君なら全員一致で
友人: まだ、うちの会社に絶望していないからなw
自分: そのへんが悩みどころでさ
うちみたいな中堅ですらないようなところには
いい人材はよそに取られてこないのよね
友人: 確かにそうなると、知り合いを頼むしかないのよね
自分: うん
あとは
芽を見出すか
割合
若さに頼んでる部分があるw
友人: 大学の後輩とかでは、有望なのはいないの?
自分: おれの後輩にいるわけがない
友人: うちの後輩も心当りがないな
自分: というかうちのばあい
そんな有望なやつがいたらプロの小説家に仕立ててるしな
友人: w
自分: いますぐ欲しいって人材は
探すほどいない
友人: 今欲しいのは、どんな感じの人なの?
自分: 骨のある人
育ちそうな人
スキルとかはどーでもいー
友人: まぁ、そうなると、若くて、やる気のある人だから
芝居関係者なんてオススメだよw
自分: うーん
ぶっ飛び系は食あたり気味だからなぁw
友人: ん〜、条件に合う人を探すってのは難しいよね
どちらかというと、条件に合うように育てていくしかないのかな
まぁ、育てられる人ってことが条件か
自分: 打って響く人かな
年を経るごとに難しくなってくって部分はあるよね
友人: だね
自分: ある程度経験をつめば変えがたいことも出てくるだろうし
今回の面接では
そういうものを覆してでも自分をアピールできる人ってのはいなかったかな
経験に胡坐をかいてる人は多かったが
「私のスキルが御社のお役に」とか言われても
未経験からOKって募集してる会社で言うセリフじゃない
友人: なかなか、年取るとこれまでの経験を捨てられないよ
自分: 一人いてさー
前に一緒に仕事した人なんだけど
友人: ほう
自分: 「自分は今の最前線じゃないから」と言って口は出さないんだけど
おれの書いたスクリプトを見て
これってどーなってんのって聞いてくるんだよね
それでいてマネージメント力はあって
あー、50過ぎてもすごい人はすごいんだなぁって
友人: そらそうだ
自分: そういう人なら60過ぎてもとりたいんだけどさ
友人: それは、でも難しいだろうなw
自分: 逆にそういう人ってうちに来る必要がない境遇で働けてる
友人: そうそう
若い人で探すしかないか
自分: なんだなー
友人: 短期バイトを沢山雇ったら?
自分: そんな余裕(スペース)はない
友人: そっちかw
自分: ジョブカフェって知ってる?
友人: ○○の職安だよね?若い人向けの
自分: 三日試用すると
1万もらえんの
友人: へー
自分: インターンシップ制ってのかな
友人: でも、使えない人だったら、3日でも相手するのはきつい
自分: 1日どころか3秒で分かる
友人: w
自分: 面接の場ってのもあるんだろうけど
今回グループ面接だったんだけどさ
部屋に入った途端
帰って寝たくなることが何度かあった
友人: w
自分: そういう人って
話を引き出そうとしても高が知れてるんだよね
オーラが違うっつーか
話しながら、オマエナニシニキタンダヨって
議事録に何度書いたことか
友人: ぼうやだからさ
自分: まだガルマのがいい
だって彼は自分の実力をある程度分かって劣等感持ってるもん
認めたくないって部分はあるとしても
何とか自分の実力を見せ付けようって意欲はあるし
そういう人間は仕込みがいがある
友人: なるほどね
自分: オリジンのガルマとか
ちやほやされるのはうんざりだってのがあって
だから立場にとらわれず対等に接する(けなせる)シャアに惹かれるって描写があって
そういう人間は叩くほど粘りが出る
あの四兄弟にはできなかったけどね
友人: 負けん気なんだよね、つまるところ
今の自分を認めた上で、でも、負けないっていう
人間としてのベースで、自信がある人と、ない人って言うのがいて
人間としてのベースで、自分を負けていると思っちゃうと、伸びない
自分: 負けてると思っていても、そこからどう動くか
友人: 自分が現状負けているとしても、それは、これまでの経験や、環境など、これから変えていける部分に原因があるという、ある意味エゴイストの方が、頑張るし
自分: 実際、人間の能力って
英才教育受けるか天才でもない限り大差ないじゃない
友人: まね
自分: ある程度やればほとんどの人が横並びになる
そこでどうやるかってとこが重要なんだけど
困ったことにその横並びのラインにすら見切りつけてる人が多すぎる
友人: なんか、実は昔はあまりなかった悩みなのかもしれないな
環境を嘆く人は多かったけれど、自分の限界を嘆く人って、あまりいなかった気がするのだが
自分: そうだね
まー
その天才を目の当たりにする機会が増えたってのもあるんだろうけど
友人: 自分の限界を早々に見切る人が多いのは事実だ
自分: 人間の限界が100あるとして
自分がいけるのが50だって気づいたときに
とりあえず50まで成長して
それから考えようってタイプは減ったかな
10のときと50のときと見える世界って段違いなんだけど
それを知らないのかなぁ
友人: 努力って言うものに対して、皆の興味が薄いんじゃない?
天才的な解決ばかり好む人が多いよ
まぁ、僕もその傾向がないとは言えないが
労力よりも、頭を使ってなんとかしようと考えるのだけれど
頭が追いつかなくなったときに、その段階で物事を無理と放棄しちゃうんだよね
地道にやれば解けることを、地道=解けない問題としてしまうんだろうか
自分: おれは努力って言葉が嫌いなんだが
「ガンバルノハアタリマエジャン」っていうか
多様化のせいなのか
「俺、がんばってるのに」って思いやすくなってるのかな
友人: 解答ってものがあると、皆思っちゃっているんじゃない?
自分: 体操でウルトラCって言葉が昔あったじゃない
ちょっと前まではウルトラEってのがあって
これからはウルトラFの時代なんだけど
ムーンサルトって技はウルトラCの時代は天才の技だったんだよね
でも今の体操選手で床をやってる人は誰でもできる
というかそういうレベルじゃないと世界を相手にはできなくなってるんだけど
なんで昔は天才の技が今は普通になってるかっていうと
「この技をやるためにはこうやってやる」ってある程度の解答が実は出てる
でも解答が出たってことは、次の問題に進むステップだってわけでさ
どんどんレベルがあがるんだよね
友人: うん
自分: 10年前の数学と今の数学は違う
一番分かりやすいのは歴史か
毎年増えていく
だから先人たちと比べるのって
技術とか知識の面ではあんまり意味がない
だけど学校でも社会でもそういった面が評価されて
評価する人間は昔の人間
そこにジレンマがあるのかな
第二次世界大戦の終戦をグローバル化の始まりと見ると
60年経った今になって
ようやく人間の歴史の重みがのしかかるようになったのかも
それまでは小さい世界で生きていたわけだし
友人: ん〜、少し眠気で頭が回らなくなってきたが
話としては面白いな
現代の人(日本人か?)っていうものの、精神的傾向には、興味がある
自分: 表面化しない重みってのはあると思うんだよね
んでそれを気にせず今は今、って捉えられるかどうか、かな
友人: 今は今なんだが、周りの理解とのギャップはあるからな
自分: 世代格差の広がりってのが昔に比べて大きくなってるのかな
友人: むしろ、今は今という発想が定着している割に、過去を捨てきれない人も沢山いる
自分: うん
友人: いまどき、古い仕事のやり方でうまくいくわけないじゃない
でも、その古い仕事のやり方で話をしている一般人ってのはまだ沢山いるんだよね
開発とか、企画とか、絶対仕事として現在の発想からいくとおかしいのに
自分: 昔はこうやってやった、みたいな
友人: 古い発想で仕事をしているから、新しい仕事が出来ない
結果的に、相手に導かれる結果は、古い、望んでいない結果になると分かっていても、古い発想の方が売れてしまうことがあるというのは、悲しいことだ
自分: そういう意味でも、Google の成功は興味深い
友人: どこに立脚するかなんだと思うんだな
日本が、社会として老成していくにしたがって
古いインターフェイスとの翻訳部分っていうのが、どんどん必要になってきている
これまでは、価値の再構築だった部分が、
社会環境そのものが老朽化している現在において
再構築により、実現する際のリソースとして老朽化した社会を相手にしなければならない
ようは、しがらみか
自分: きついね
古い世界を相手にして価値の創造を行えればいいが
友人: 新しいもの分かる人、ついて来いじゃすまなくなっているんだろうね
自分: でも変化って加速し続けるじゃない
人類が経験を積めば積むほど
土台が大きくなればなるほど
変化が大きくなっていくわけだし
土台に組み込まれてしまった人たちにとっては途方もない話なんだろうけど
それでも変化は続けていかなければならないのが生物の存在価値そのものだし
ただ、社会を回すのが土台の人たちだから
革命が必要になってくるのかなぁ
友人: リソースと思えば、たいしたことではないのかもしれないけれどね
酸素を吸って、エネルギーを作るか、二酸化炭素を吸って、エネルギーを作るか
社会が老朽化しているならば、それなりの動き方はあるのかもしれない
自分: でもバランスだけとって生きながらえることはできないわけだし
肥大化するリソースに振り回されるだけの人たちはふるい落としていくしかないんだろうなぁ
友人: そりゃそうだ
リソースは利用してなんぼだからね
リソースに踊らされたら、技術に未来はないよ
自分: ピラミッドそのものが大きくなってきたから
下層の人たちが目立ちやすくなってるだけなのかな
友人: 社会っていうものの評価が、力を持ってきているのは事実だよね。
専門家に理解される高等数学より、皆が使える計算機の方が重宝される
そこに価値を認めるようになってきてはいる
自分: 一方で、誰でも使える計算機しか使えない人たちは要らないってのもあるんだよね
友人: ただ、誰でも使える計算機って、作るの難しいよw
発明の方向性が、そこにも価値を認めるようになってきているんじゃない?
自分: フラット化する社会だっけか
オレはまったく惹かれないんだよなぁ
誰でも使える計算機そのものに、将来性を感じない
友人: ただ、誰でも使える計算機が、生活を変えていっているんだよね、今
携帯然り、ネットしかり
自分: うーん
友人: そういう意味では、新発明は、誰でも使える計算機でありながら、
人々の生活を根底から覆す革命性を持っているものでなければならないのかもしれない
自分: 電球だね
友人: 専門家の理解できる高等数学を発明する人も発明家だが
その高等数学を誰でも使える計算機にする人も発明家なんだな、いまは
自分: 価値基準が変わっていくとすれば
オレは古い人間なのかもしれないな
友人: ただ、それで何がどうなるかは未知数だね
価値基準の変化って、要は環境の変化だから
環境が、正しいとは限らないもの
何をもって正しいとするかは知れないが
自分: 指向の違い?
友人: かもしれない
自分: 冒険家かどうか
理解されずとも、未踏を拓く魅力に惹かれて止まないかどうか
友人: とりあえず、楽しければ僕は先ずは味わってみるよ
自分: えらく話が戻るが
友人: うん
自分: 結局、魅力ある人間ってのは前を見ていられるかどうか
になるのかな
友人: そうだね、そりゃそうだ
大前提だな
自分: ただ前を見続けるには過去が膨大すぎる現代ってことでまとめてよろし?
友人: 良いのではないでしょうか
比較的綺麗なまとまり方だなw
自分: 過去の膨大さってとこでは、新しい見方を得られたかなとは思う
友人: まぁ、これまで認識されてこなかった部分かもしれないね
自分: いまどきのわかものは、って言い方が
なくなるかもしれんな
友人: 過去を無視するには、あまりに時間が経ちすぎたってことで
過去もリアルタイムだ
自分: 10年後に自分が何言ってるか楽しみだな
友人: w
さて、ぼちぼちしめますか
自分: ういっす
ブログに載せるぞ
友人: どうぞ
うまく編集してくれ
自分: ほぼまま
友人: 長いぞ、これw