知識は答えを示さない
後輩と話していて、会社についてぐるぐると悩み始めたことがある。
- どう発展していくか
- どう発展していくべきか
- その発展を自分がどう促すか
- そもそもその発展に自分が貢献できるか
若輩に過ぎるうえ知識も経験も乏しいオレが悩んだところで、答えが出る兆しすらないし、そもそもどう考えたらいいかすら分からない。
じゃあいっちょ勉強してみるかと言うことで経済学の入門書を買って読んでみた。
しかしどうにも落ち着かない。理解できるできないということではなくて、その本を読んでいる自分に言いようのない不安を感じてしまうのだ。
選ぶ本を間違えたか。先に経営学について学ぶべきだったか。それ以前に学ぶべきものがあったのか。
本を読むのは好きだ。知識を増やすことは大好きだ。真新しいことに出会うと心が踊る。そしてこの著書は確かに面白い。なのになんでか落ち着かない。求めるものが間違っている気がする。
はたと気づいたことは、オレが不安や疑問に対して明快な答えを望んでいるということだ。
正解を示して欲しいのに、それがどれだけ読んでも表れない。望む答えが書かれていない。
それもそのはず、本に書かれていることは他人の経験や知識に過ぎないからだ。それがたとえ、「会社が発展するための百の方法」だったとしても、彼らの立場とオレの立場が違う以上、オレの悩みに答えるものにはなり得ない。その判断が正しいことを証明する手立ては実証の他になく、そしてその判断を採択するかどうか判断するのは自分自身だ。
知識は貪欲に求めるものであって、答えを望むものではないと。