P.G.ウッドハウス「比類なきジーヴス」(訳:森村たまき)




 古典だが、イギリス貴族好きにこのユーモアはたまらない

 特にジーヴスが比類ない。それこそ、色んな意味で。

 ただ現代日本人向けかというと難しいだろう

 この面白さは森薫「エマ」やオーエン・コルファーの「アルテミス・ファウル」あたりから、デュマの「三銃士」*1くらいまで遡っていかないと分からない

 日本だとこの手のユーモアは「ドグラ・マグラ」とかか?




 攻撃的なユーモアというか
 思い返すとゲーテの「ファウスト」も、かなりブラックに富んでる
 特に第1部
 悪魔メフィストフェレスすら呆れる恋の空騒ぎ

欲を言えば

 英語のジョークには「注」が欲しかった。分からんネタが多すぎる。

たとえば160ページ

「おおせの通りでございます。お盆に便りがございます。」
「ほう、ジーヴス。詩的な言い方だったな。韻を踏んでるぞ、気がついていたか?」

 letter on tray ?

たとえば188ページ

ジーヴスに相談しよう。彼の助言なしに賭け事には手を触れないことにしたんだ。ジーヴス」彼が入ってくると僕は言った。「結集せよ」
「はい?」
「待機せよ」

 ここは調べたが良く分からん

 原文、読むか〜?

与太話

 「訳者あとがき」にヒュー・グランドやモンティ・パイソンをして

意識的にちりばめられたイギリス的笑いは、「ウッドハウスを知っていたら」もっと楽しめるはずなのだ。

 という主張があるが、これは結果論的で、逆の主張であるべきではと思う

 もちろん「背景を分かった上でなら更に楽しめる」ということを否定するのではなく

 持論ではあるが、エンターテイメントたるもの、そういうこと抜きで楽しめるべきだと考えているし、実際、そういうものが残っているとも思う

 話がややこしくなるので「源氏物語」や「枕草子」のような「歴史的価値」を持つ作品は除く



 たとえば夏目漱石の「坊っちゃん

 彼の作品が今でも「親しまれている」のは、現代日本人にも通じるものがあって、それがエンターテイメントとして成り立っているからだ

 舞台は学校だし、主人公は「男はつらいよ」の寅さんのようだし、「清」*2に至っては「萌え」と名高い(らしい)

 現代日本人にも共感し得るものがあってこそ、現代にあって作品として評価されている

 一方で川端康成の「伊豆の踊り子」は、現代にあってはその背景が少々遠い

 旅芸人の一座と聞いて、どれだけの人が主人公の苦悩を想像し得るだろうか

 誰だったかは忘れたが、「歴史は想像もつかないような太古からではなく、身近な現代から遡って教えていくべきだ。そうでなくても時間がなくて現代・近代は飛ばしがちなのに」というような主張をしていた

 オレはこれに賛成で、ピテカントロプス教えるより、まず今の生活に直結している小泉純一郎やら田中角栄やらイラク戦争やらから始めて、第二次世界大戦第一次世界大戦明治維新と教えていくべきだろうと思っている

 文芸(文学じゃなくって)も絵画も何だって、同じように身近なものから体験していくべきで、いきなりピカソ見せたって意味分からんのだから、まず分かりやすいポップアートを見せて、それが何故生まれたのか、と考える方が身に付きやすいだろう

 文芸も同じ

 まず小説の前に最近の漫画を読め

 したら手塚治虫か現代小説を読め

 そうやって遡っていくうちに、近代が分かり、近世が分かり

 はたと気付く

「ああ、ブラックジャックのあのシーンって、こういうことだったのか」

 そのほうが、よっぽど楽しいじゃないか

*1:フランスの小説だが、貴族を扱った退廃的なユーモアが共通している。アニメやら映画やらで日本人にも親しみ深いと思い

*2:http://t-bancho-id.hp.infoseek.co.jp/hangar/moekiyo/moekiyo_title.htm